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2007.07.04 Wednesday  | - | - | 

『しずかに流れるみどりの川』 ユベール・マンガレリ  白水社 (佐吉)

しずかに流れるみどりの川
ユベール マンガレリ, Hubert Mingarelli, 田久保 麻理
白水社 ; ISBN: 4560027269 ; 2005/06/28

 邦訳としては『おわりの雪』に続いて二冊目になるが、この作品は、児童文学作家としてデビューしたマンガレリの初めての一般向け長編小説である。そっとつぶやくような文体で、寡黙で繊細な少年の哀しみや孤独を、一つの風景のように描いた『おわりの雪』と同様、この『しずかに流れるみどりの川』も、一歩ずつ大人へ近づいてゆく少年の内に広がる世界を、もの静かに、しかし瑞々しく描いた印象的な作品である。

 見渡す限りどこまでも広がる深い草むら。主人公の少年プリモは、その草原に囲まれた小さな町に、父親と二人で暮らしている。父親は町のコンプレッサー工場を解雇され、以来定職に就けず、近所の家の庭の草むしりや芝刈りをして糊口を凌いでいる。電気も止められてしまうほどの貧しい生活の中、父子は裏庭に自生する「つるばら」を栽培し、それでひと儲けすることに希望をつないでいる。不揃いな百個の空きびんに「つるばら」の種を植え、毎日丁寧にその世話をする父と子。少年にとって「つるばら」は神からの贈り物である。二人は祈りを捧げるような厳粛さをもってその作業を繰り返す。
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2006.04.15 Saturday 22:34 | comments(0) | trackbacks(0) | 

『海辺のカフカ』 村上春樹 新潮文庫 (苗村屋)

 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を彷彿とさせる2つの世界の物語。『世界の終り』でも書いたが、複数の世界が最終的にひとつに結びつくというのは大好きな構成。単行本の発売当初にはいろいろと話題になったのであろうが、読み始めるまでは構成や登場人物など全く予備知識がなかったので、素直にわくわくしながら読み進めることができた。

 物語は、15歳の家出少年・田村カフカと、少年期の事故のせいで文字が読めなくなったナカタさんの2人を中心に紡がれていく。『世界の終り』では、世界の2つともが非現実的であったが、今回はカフカ少年の世界はとても現実的。高速バスで高松へ向かうところなど、あまりにも現実的過ぎて村上春樹らしくなとと思ってしまったほど。一方のナカタさんの世界も、最初は戦時中の描写から始まり、村上節ではない。だが、こちらの世界は物語が進むにつれ、ナカタさんが猫と話をしたり、空から魚やヒルが降って来たりと、少しずつ村上ワールドに染まって行く。

 物語が進むにつれ、2つの世界における共通点がでてくる。例えばカフカ少年のTシャツの血とナカタさんが刺し殺したジョニーウォーカーの血。また、カラスと呼ばれる少年とナカタさんの薄い影も関係するのかと思ったが、これは深読みのし過ぎであった。「影」といえば、『世界の終り』でも非常に重要な役割を負っていた。また「図書館」も『世界の終り』の象徴的存在。『海辺のカフカ』という物語が2つのパラレルワールドを織り成しつつ、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』というもうひとつのパラレルワールドとも錯綜する、2重のパラレルワールドと読むのは、考え過ぎだろうか。私にはカフカ少年がラストシーンで訪れる森の中の世界が「世界の終り」に思えてならなかった。

 更に物語が進むと、現実的であったカフカ少年の世界が非現実的になってくる。恋人をなくしてしまった女性の15歳の姿をした幽霊(しかもその女性は存命している)が出て来たり、不思議な森に足を踏み入れたり。『悪童日記』のような、現在形で淡々と語られるのも面白い。一方、非現実的であったナカタさんの世界は、ホシノ君と出会って四国を目指し始めてる辺りから現実味を帯びてくる。どこで物語が交差するかと心待ちにしていたのだが、やはり、物語のポイントとなるのは「図書館」であった。

 気になるのはこの交点へ至るまでの過程である。ナカタさんという不思議なキャラクターのおかげで幾分薄まってはいるが、ナカタさんが四国へ行き、「入り口の石」を見つけるまでの過程は随分と御都合主義的である。特に四国に到着してからは、偶然の積み重ねが多すぎて「偶然嫌い」の私には我慢が出来ない内容である。ここまで物語を書き込んできたのだから、もう少し長くても必然的な過程にすればよいのにと思ってしまう。作者の意図としては「偶然」を積み重ねることによって、不思議な世界の「必然」を立脚させようとしたのかもしれないが…。

 カフカ少年の成長譚としても楽しめるし、「入り口の石」を捜し求める辺りは多分にRPG的でもある。読者を楽しませる要素がふんだんに盛りこまれているのは、一流のエンターテイナーの証左といえよう。しかし、である。2重世界という『世界の終り』と似たような構成にしたからには『世界の終り』を凌駕する物語にして欲しかった。ページを繰る手を止められず、一気に読めた作品なのだが、村上春樹の作品は一気に読めてしまってはいけない様にも思う。これも作者の意図なのだろうが、ラストの曖昧さも迫力不足であった。非常に面白い作品であるし、お薦めなのだが、あえて評価は○としたい。

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2005.10.23 Sunday 00:14 | comments(0) | trackbacks(0) | 

「江戸群盗伝」半村良

強きを挫いて弱きを助く、庶民的カタルシスの受け皿としての義賊。人間にはそういうフィクションを好む血が流れている。富が特権階級に集中し、社会階層がはっきりと分離した社会には必ずといってこういう物語がフィットするものだ。鼠小僧次郎吉しかり、怪盗ゾロしかり、権勢をほしいままにして貧困にあえぐ庶民を抑圧する権力者を懲らしめて富を還元するスーパースターは物語の枠を越えて伝説化され、法秩序の埒外に位置付けられる。
現代においても東ティモールや南米各地に存在する分離独立派の武装集団などはこのようなフィクションを投影され、現地において歓迎されている。宗教的情熱に昇華された原理主義テロ組織やアフリカに多発する軍事クーデターも含めて、すべて闘争の根源は貧困と抑圧に求めらるといっていい。彼らは正義を掲げて既存の統治機構に対峙するのだ。
だが、この現実の免罪符が長期的には貧民層のためにならないことが多いのもまた、歴史の証明するところだ。解放者がそのまま抑圧者の座にスライドし、旧態依然とした災禍を生み出す事例は枚挙に暇がない。
哀しいことだけれどもそれが世の理であるならば、せめて物語の世界では賊は賊として、ある程度までは等身大に扱われるのを僕は望む。それは人間の本質を描くことにほかならない。
フィクションと生々しい人間性を抱え込んで互いに背反させない物語を成立させるのは至難の技だが、良質の悪漢小説はこの難しいバランスを見事に均衡させているものだ。
本書はタイトルにあるとおり、爛熟期の江戸を舞台にして盗みを芸と自認する盗人たちが技を競い合い、独自の掟や風習にしたがって交接する様を描いたものだ。江戸の風俗に通じた作者の筆致は物語に熱気を帯びさせ、有無をいわせぬ暴力で収奪するいわゆる「タタキ」を「外道ばたらき」として、名のある頭目が統べる各ギルドが連携して実力でこれを排除するなど、非道を厳しく律しながらも決して自分たちを社会正義になぞらえない悪人たちの個性的なキャラクターと相まって、濃密で快活な人間模様を屹立させている。
悪も正義も相対化させて一方を絶対視しないほろ苦い人間観に諧謔と色事を加味した、まさに大人の読み物だ。特段強調せずしてシニカルさや悪人の業をしっかり織り込んだストーリーテリングの冴えはも特筆されるべきだろう。また盗人たちの善行が社会に対する贖罪として描かれず、単なる野次馬的喝采を浴びるにとどまっているのが快い。
本書は、生真面目な社会派小説の多くに欠ける庶民の野次馬根性をきちんと写し取った痛快な時代短編連作であり、僕はこのスタイルを支持したい。

オススメ度★★★★
2005.10.12 Wednesday 12:49 | comments(0) | trackbacks(0) | 

『神様ゲーム』  麻耶雄嵩 講談社(マリ)

神様ゲーム
 小学4年生の芳雄の住む神降市で、連続して残酷で意味ありげな猫殺害事件が発生。芳雄は同級生と結成した探偵団で犯人捜しをはじめることにした。そんな時、転校してきたばかりのクラスメイト鈴木君に、「ぼくは神様なんだ。猫殺しの犯人も知っているよ。」と明かされる。大嘘つき? それとも何かのゲーム? 数日後、芳雄たちは探偵団の本部として使っていた古い屋敷で死体を発見する。猫殺し犯がついに殺人を? 芳雄は「神様」に真実を教えてほしいと頼むのだが……。(Amazonより)
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2005.09.27 Tuesday 23:34 | comments(0) | trackbacks(0) | 

『流星たちの宴』 白川道 新潮文庫 (苗村屋)

 本書は最初に読んだとき強烈な印象を残した作品。そのうち再読をと思いつつ今日に至った。当時の鮮烈さはないもののやはりおもしろい作品。一気に読了した。いわゆる仕手集団、株屋を描いたものだが、作者が一時期身を置いていた世界のため、非常にリアリティがあり、切迫感のある作品であった。私自身、今までまじめに生きてきたせいか、このような放蕩の世界にあこがれる部分がある。今手元に1億円あったら・・・そんな思いを抱きながら読み進めた。主人公の雅之はもちろんのこと、彼を取り巻く、見崎、加治見、朝秀など魅力的な登場人物が魅力的な言葉を吐く。気障なのだが、何となく説得力のある言葉たち。気に入った言葉に線を引いていったら、最後の解説者も似たような部分を引用していた。やはり魅力的な言葉というのはある程度共有できるものなのだろう。

 ここでその一部を抜粋。
 見崎:「俺は二通りのタイプの人間を信用しない。平凡を愛していると公言するやつ。そして、自分を縛る美意識をもたぬやつ。男を裏切るのはいつもこのどちらかのタイプのやつだ」「気持ちが萎えそうになったら夜の首都高速にタクシーを走らせろ。群がるビルと、その間に光り輝く明かりの渦を見るといい。俺はこの街でやるぞ、ってな。そんな気持ちがあるうちは、余計な考えのほうが自分を避けてくれる」

 理子:「写真で見るのと実際に見るのとは大違い。写真が伝えるのは物事の表面だけ。時間の流れがないんだもの。時間の流れの中で物事と一緒に過ごさなければ、本当の良さも、自分の成長もない、そんなふうにも思った。だって、時間の流れっていうことが、結局生きている証明というわけでしょう・・・」

 朝秀:「設計の仕事というのはね、基本的にはなにもないとこから出発するんだ。できあがった物を見て、あれこれいう人はたくさんいる。でもね、時々、そんな人に白紙をあげてみたいと思うことがある。では、あれこれいう人のいったい何人が白紙に書き込むことができるのか、それを問いたい気持ちになるんだね。技術的なことをいっているんじゃないよ、あくまでもその白紙を埋める空想力、企画力のことをいってるんだ」

 加治見:「辛いことなんてのは身体で覚え込ませるんだ。頭で考えているうちは辛さからいつまでたっても離れられねえぞ。身体が覚え込めば、そのうち自分の意思なんてのはそっちのけで身体が自然と反応するようになる。そうなりゃ、辛さなんてのはどうってこともなくなるさ」

 「ギャラクシー」素晴らしい人の群れ、綺羅星のような人の集まり。「群星」群がる星。気障な名前を付けたものである。しかし、一瞬で消え行く流れ星のように、雅之は輝き流れていく。切なさと危うさと脆さと。無頼を装いながらも胸に沁みる作品であった。

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■苗村屋読書日記
2005.09.23 Friday 10:06 | comments(0) | trackbacks(0) | 

『すぐそばの彼方』 白石一文 角川文庫 (苗村屋)

 同じ作家の作品というのは、どうしても別のものと比べてしまう為、ついつい辛口の評価になってしまう。白石一文という作家も、最初に読んだ作品である『一瞬の光』が素晴らしかっただけに、これを超える作品はなかなか出ないのではないかと感じていた。むしろ、傑作を書いた後に、レベルの高い作品を出し続けるというのは至難の業だとも思うのである。

 作家に限らず、ミュージシャンなども同様ではなかろうか。私はどちらかというと凝り性で、気に入ったミュージシャンがいると全ての楽曲を聞きたくなる方なのだが、ある時、同じミュージシャンの作品でも良いもの悪いものがあるのだということに気づいたのである。(早く気づけよ、という感じだが) 当然のごとく、1つのアルバムの中に好きな曲とそうでない曲が混じっているのだが、若かりし頃はアルバムの全曲を聴かないと失礼だと思い、好きでもない曲まで熱心に聴いていた記憶がある。そう言った意味では、最近の音楽ダウンロードのシステムは好きな曲だけを選んで購入できる点で、利用者のメリットは大きいと思う。一方、ミュージシャンの方は、1曲たりとも手を抜くことが出来ず、大変なのではなかろうか。

 話題がそれてしまったが、『一瞬の光』の後に読んだ『不自由な心』『僕のなかの壊れていない部分』に、今ひとつという印象を持っていた私にとっては、本書は起死回生の一冊だったのである。面白い本が一冊しかない作家であれば、あの一冊はまぐれ当たりだったのだと、見向きもしなくなる可能性があるから…。

 白石一文の魅力は、仕事(今回は政治家の息子としての仕事)と恋愛のバランスを上手く取りながら物語を進めていく点であると思う。ビジネス小説であれば高杉良などのベテランでうまい書き手がいるが、高杉良に恋愛小説が書けるかというと、そうは思えない。しかし、白石一文は日常には多数転がっているであろう「仕事×恋愛」というシチュエーションを見事にこなしているのである。結構多くの小説を読んでいるつもりだが、この当たり前のような「仕事×恋愛」を上手く描いている小説というのは意外に少ないように思う。

 さて、かなり前置きが長くなってしまったが、今回は柴田龍彦という政治家の息子が主人公。父は次期首相と目される人物なのだが、息子の方は今ひとつパッとしない感じで物語は始まる。息子がパッとしない理由というのが徐々に明かされていくのだが、このあたりの伏線の張り方や、真相を小出しにするあたりはなかなか技巧派で旨いと感じさせる部分である。

 しかしこの筆者は少しくずれたエリートが好みなのだろうか。他の作品でも共通しているように感じるのだが、才能がありながら壁にぶち当たってもがき苦しむ主人公を描いていることが多いように感じる。もちろん挫折とか壁がないと物語が成り立たないと思うのだが、エリートなりの悩みというのがなかなか面白い。

 本書も、女性問題がきっかけで大きな打撃を受けた主人公がもがき苦しみながら、徐々に立ち直っていく展開なのだが、思わず応援したくなるのは、筆者のキャラクター作りが成功している証左であろう。しかも、堂々と立ち直った後で、主人公が選択する最終的な判断が微笑ましく、思わず拍手を送りたくなってしまうような、ハートウォーミングなエンディング。先日読了した『疾走』も良かったが、どちらかというとハッピーエンド好きな私としては、安心してお薦めできる作品である。

■苗村屋読書日記
2005.09.11 Sunday 13:28 | comments(0) | trackbacks(0) | 

『銀行・男たちのサバイバル』 山田智彦 文春文庫 (苗村屋)

 『銀行 男たちの決断』を読み始めた。シリーズ4作目で過去の作品も面白く読ませてもらったもの。今日は1作目の『銀行 男たちのサバイバル』を少し思い出してみたい。実はこの本、以前に読んだことを忘れていて2回読んでしまったのだが、2回とも面白く読むことが出来た。これから4冊とも紹介していこうと思うので、まず主な登場人物について書いておく。(自分が忘れそうなので) まず、主人公の名古屋支店長・長谷部敏正。正義感溢れる人物で、どちらかというとマイペース。がつがつと出世したいと思っているわけではなく、良い仕事をしたいと思っている紳士である。次に、総合企画部長・石倉克己。同期の中の出世頭かと思っていたが、あることをきっかけに転職してしまう。判断が早く、バリバリ仕事は出来るし、頭も柔らかい。私の1番好きなタイプである。そして業務推進部長・松岡紀一郎。いわゆる上に厚く下に冷たいタイプであまり好きではないのだが、仕事はそこそこにこなしている。あまり上司にしたくないタイプだが、なんとなく憎めない面も持っている。横浜支店長・西巻良平は石倉と同期トップを争っていたのだが、くも膜下出血で急逝してしまう。原因は過労だが、実はある事件に巻き込まれていたのである。調査部長・宮田隆男は学者肌で、結局銀行を辞めて大学の教授になってしまう。以上個性ある5人の同期を中心に、頭取クラスもまき込んで物語は展開していく。

 物語自体は最近では当然のように語られる銀行合併問題と不正融資問題を両軸に、同期同士の出世争いを描いている。結局、出世欲の一番少ない、真摯に仕事をこなしてきた長谷部が日の目を見ることになるのだが、このあたりの人事の妙も読んでいて面白い。銀行小説といえば高杉良の『金融腐食列島』を思い出すが、こちらの『男たち』シリーズもひけを取らない面白さである。合併や不良債権問題などにいち早く触れているが、単行本化されたのが1993年であるから、今から10年も前に、今の日本の銀行の有様を予想していたとも言える。作者の先見の明に感心しつつ、経済大国ニッポンは一体どこに向かっているのだろうかと不安になってしまった。

■苗村屋読書日記
2005.09.04 Sunday 20:49 | comments(0) | trackbacks(0) | 

『死ぬことと見つけたり』 隆慶一郎 新潮文庫 (苗村屋)

 遂に50冊目である。記念すべき作品は2年前に読んだ『死ぬことと見つけたり』 ずっと名前に惹かれていて読んでみようと思っていたのだが、作者の急逝により未完となっていることを知っていたので手を出せずにいた。中途半端な終わり方であっても、先を読むことができないので、読むべきかどうかをずっと迷っていた。しかし、この直前に読んだ『影武者徳川家康』に触発されて文庫本を買ってしまったのだ。結果は大正解。確かにラストシーンはなかったが、3話を残すのみとなっており、しかもその3話で主人公たちが次々と死んでいくというのだから、読まなくてよかったかもしれない。歴史小説の辛いところは必ず主人公が死を迎えることである。死に触れずに物語を終わらせている例も多いが、それだと歴史小説として完結した感じがせず、ジレンマを感じる。

 本書は葉隠の武士・斉藤杢之助とその莫逆の友・中野求馬を描いたものである。杢之助は「死人(しびと)」として生きる典型的な葉隠武士であり、「死人」であるがゆえの覚悟が素晴らしい。人間死ぬ気になれば怖いものはない。サラリーマンなど命を取られることはないのだから、いつでも辞めてやる覚悟で仕事に臨めば十分に腹が据わるのではなかろうか? そのためにも食いっぱぐれないよう、己の能力に磨きをかけなければならない。「意見」というのは諸刃の剣であり、採用されると有利に働くが、反発されるとしっぺ返しを食う。かといって「意見」を持たない人間にはなりたくないので、反発覚悟で言うときには言う。(現実にはあんまり言えてないなぁ) 杢之助はどちらかというと不言実行の人。しかし、今の世の中は有言実行が必要だ。発言力と実行力に磨きをかけたい。

■苗村屋読書日記
2005.09.01 Thursday 01:32 | comments(0) | trackbacks(0) | 

『再生巨流』 楡周平/新潮社/苗村屋

 素晴らしい本に出会ってしまった。「全国のビジネスパーソンに告ぐ。読むべし!!」と叫びたくなるような本である。筆者の楡周平は外資系企業に勤務した経験があり、『Cの福音』は犯罪小説でありながらも、貿易実務の知識などを折り込んだ魅力的な作品であった。読書当時、実際に会社で貿易実務の知識を学んでいた私にとって、非常に興味深い作品であった。その後、犯罪小説にさらに傾倒して行ったかのように感じていたのだが、ここへ来て本格ビジネス小説を世に送り出したのは嬉しい限り。久しぶりに読み応えがあり、かつ一気に読ませてくれる小説に出会った。

 舞台は物流業界。奇しくも、郵政民営化が否決されたばかりであるが、本書でも民間の物流業者が郵政民営化の波を敏感に感じながら、新規ビジネスを立ち上げようとする様が克明に描かれている。ヤマト運輸がモデルかなと感じさせるスバル運輸を中心に、文具の宅配業者として急成長を遂げているアスクルを彷彿させるプロンプトをライバル企業に据え、新規ビジネス立ち上げの難しさと面白さを鮮やかに描いている。

 まず、アイデアが秀逸。コピーカウンターにPHSを取り付け、顧客から紙の在庫管理業務をなくしてしまうという取っ掛かりのアイデアに加え、そのワン・アイデアを生かすべく、さまざまなアイデアが波状的に広がっていく。街の電気屋さんを利用した物流スキーム、価格サイトを利用した売込みなど、誰にでも考え付きそうなアイデアなのだが、これらのワン・アイデアが有機的に結びついて、非常に興味深いビジネススキームが築かれてゆく。

 大前研一が述べていたことだが、ネット・ビジネスが発達すればするほど、ラスト・ワン・マイルというのだろうか、デポから顧客のドアまでの宅配というのがキーになってくる。新聞配達屋が、そのラスト・ワン・マイルを請け負うことにより、1つのビジネススキームが出来るのではないかとのこと。このアイデアを新聞配達屋ではなく、街の電気屋さんで実現したのが本書であろう。確かに、銀行や証券といった実体を伴わない一部の特殊な商品以外は、物流が非常に重要である。そのことを改めて思い知らされる作品であった。

 人物も良く描けている。主人公の鬼だるまこと吉野は、その強引な性格ゆえに左遷の憂き目にあいながらも、貪欲に新規ビジネスを模索している。プロ野球選手を目指し、腰掛的にスバル運輸に入社してきた蓬莱も、肩を壊してセールスドライバーに転向したという挫折を味わっていながら、何とか売上を伸ばせないかともがき苦しんでいる。このように一度辛酸を舐めた主人公達が、復活していく様というのは読んでいてすがすがしい気分になる。途中、話を盛り上げる為か、現実の世界に合わせたのかは知らないが、案の定、上司の横槍が入ったりもするのだが、吉野はものともしない。強引なまでのリーダーシップ、外見に反して緻密なアイデア、そして何よりも強烈な使命感を持った主人公の吉野は、現在の日本企業に掛けているリーダー像かもしれない。

 社主の曽根崎もいい味を出している。やはりヤマト運輸の小倉氏がモデルなのだろうか。残念なことに、6/30に逝去されてしまったが、彼がこの小説を読んだら何を感じただろうか。コンシューマーだけでなく代理店まで「顧客」と捕らえる曽根崎の視点は、身に沁みる思いがした。

 少し出来すぎだなと感じたのは蓬莱の妻の藍子。学生ながら卓越したITスキルを持ち、玄人顔負けのアイデアをひねり出す。女性が活躍するのは非常に良いことだと思うのだが、蓬莱の妻というのが出来すぎ。どうせなら社内でヒマをもてあましているOLが大化けする方が面白かったかもしれない。

 いずれにせよ、そんな些細な点は気にならないくらいの骨太な作品である。何冊かのビジネス小説を読んできたが、実話を基にした話や、社内の派閥争いを描いたものが多い中、新しいビジネスモデルを提案する小説というのは非常に珍しいのではないだろうか。いつ実現してもおかしくないリアリティのある作品。日本企業はまだまだ捨てたものではないと思わせてくれる秀作である。

 褒めてばかりで申し訳ないが、もう1つ面白いと思ったのは、本書がプロジェクト・マネジメントの教科書にもなりうるという点。私自身、全社のERP導入プロジェクトに参加したことがあるのだが、その際痛切に感じたのが優秀なプロマネの必要性である。厳しい進捗管理と、遅滞業務のボトルネック解消は、プロジェクト・マネジメントのノウハウに加えて、対象となる業務を熟知していないと勤まらない難しい仕事である。

 最後に、実際のビジネスシーンでも使えそうな参考になるフレーズを抜粋して終わりたい。

・スジのいいアイデアというものは何度もデッサンを繰り返しながら形を成していくものではない。全てのプロセスをスキップして一瞬にして下絵ができ上がる。
・オール・オア・ナッシングを覚悟の営業なんて、能無しのやることだ。たとえ百パーセントの目的は達成されなくとも、何かしらの成果はひっ掴んでくる。それが営業だ。
・この手のプロジェクトはな、進捗状況の管理がキーになる。コミッティのメンバーは毎週月曜日にミーティングを持つことにする。その際にその週の達成目標を決めると同時に、進捗状況をチェックする。もしそこで前の週に提出した目標が達成されていない場合は、その原因を徹底的に追究する。
・データ分析なんて大した頭はいらねえ。極端な言い方をすれば単純労働。力作業だ。そんのことにかかわっている暇は俺たちにはねえ。頭を働かせ、考えに考えぬかなきゃならないことが山ほどあるからな。
・あんたが鍛える部下の体に宿る遺伝子は、また次の世代へと脈々と受け継がれていくことになるんや。

■苗村屋読書日記
2005.08.28 Sunday 23:01 | comments(0) | trackbacks(2) | 

「怪異投込寺」山田風太郎



組み伏せ、女の腰にとりついたと見えた男は、しかしみるみるうちに精気を吸われ、ミイラ化していく。
『忍法 棒涸らしの術!』
血反吐を吐きながら絶叫する娘。
うおお、なんだこれは。しかも、棒涸らしって…。
また次の画面ではあられもなく乳房をあらわにしたくのいちが、なんと乳首から脅威の殺人乳を噴出して敵を打ち倒しているではないか。
ななな、なんですかこれは一体?メチャクチャやないですか。

山田風太郎原作の映画「くのいち忍法帖」を観たのはおそらく高校生のころだったろう。ローカル局の深夜枠だったはずだ。
それ以来、山田風太郎の名はエッチな時代劇作家として僕のなかでこだまし続けていた。というより、ほとんどVシネマの原作者のように認識されていたといっていいだろう。
先入観とはおそろしいものである。僕は山田風太郎を実際に読みもせず、「別に読まなくてもいい作家じゃない?」と決めてかかっていたのだ。
今回はじめて彼の小説をじかに読んでみたが、これがぞくぞくするほどおもしろい。読みながら肌が粟立つような感覚をえたのは久しぶりだ。その奇想天外ぶりが高い評価を受けていたのは知っていたが、ここまで花も実もある物語の紡ぎ手とは思わなかった。
不覚である。

文庫版巻末の解説によれば、本書は「探偵小説・忍法帖・明治物・室町物」に代表される山田風太郎の著作のなかでも埋もれがちな江戸物の短編を集めたものらしい。
よって一般的な山田風太郎作品とは少し毛色のちがったものとなっている、と解説子はにおわせている。
この指摘が的を射ているのかどうかの判断材料を持たないので、あるいは間違った印象論になってしまうかもしれないが、男女の機微を性に絡め、濃厚かつ芳醇な物語に仕立て上げる筆力をもった作家は山田風太郎をもってその随一とするのではないか。
かつて文芸春秋を購読していたころ、「シャトウ・ルージュ」とかいう渡辺淳一の小説が掲載されていたので少し読んだことがあるが、これがまた駄作をこえた愚作で、その当時からこの小説家を見下していたのだが、本作を知るにいたって渡辺淳一の三流ぶりをあらためて痛感させられた。唾でも吐きかけたくなったあの感慨は間違っていなかったのだ。

人間の本性たる色事を核にすえ、濃密なストーリーテリングでうならせる小説家。前述の代表的な著作群を読んでいくにつれ、今後この印象が変化することもあるだろうが、伝奇小説の雄・山田風太郎は避けて通れぬ作家として、いま僕の眼前に貯立している。
余作は知らず、この短編集は傑作揃いと断言しておこう。

オススメ度★★★★★

2005.08.28 Sunday 14:27 | comments(1) | trackbacks(0) | 
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